nextmaruniが考える椅子

chairs
dialogue : a project synthesizing culture and industry.

/ 黒川雅之 -ネクストマルニ プロジェクト デザイナー

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conceptbook

はじめに

この冊子はネクストマルニの考える「人と生活と家具の思想」を絵と言葉で描いたものです。

ネクストマルニはその考えを「作品でもあり、商品でもうある椅子というかたち」で表現しようと考えています。

日本には家具の歴史がありません。そこで、ネクストマルニは「日本の思想から生まれた世界の椅子」をつくりだしていきたいと考えてきました。
「日本の美意識へのメッセージとしての椅子」のデザインを世界のデザイナーにお願いすることで「日本的ではない世界に通用する日本発の椅子」をつくっていこうと考えたのです。
世界の多くのデザイナー達の力を借りて、長い年月を掛けて1つづつ実現していきます。

この冊子は、ネクストマルニの思想の背後にある、「棲むところとはなにか」、「椅子とはなにか」を整理したものです。この思想をもとにこれからも商品/作品をつくり続けていきたいと思います。

生活者と販売する人々とつくる人たちとデザイナー達が1つになってこの思想を広げていきたいと考え、この冊子を制作しました。

- ネクストマルニ・プロジェクト委員会


建築とは・・・・こころがやすまり、ホッとするところ

家とは、建築とはなにか、それは先ず、「心がやすまり、ホッとするところ」です。
「はきものを脱ぎ、素足ですごすところ」といってもいい、何も不安がなく落ち着くところです。

1つの例を考えてみまてみしょう。
旅人が荒野を旅していて、日が地平線に落ち、寝るところを探しているとしましょう。旅人はだだっぴろい荒野で寝る場所、その手がかりを探すに違いありません。どこでも寝られるのにどこでもそれができないのです。

洞窟があれば旅人はそれを選ぶでしょう。こんなに安心なところはないからです。でも洞窟がなくても一本の枯れ木があれば、そこに宿を決めるでしょう。枯れ木に寄りかかり十分ではないけれど「どこかホッとして」休むでしょう。

洞窟は身体全部を守ってくれる覆いです。枯れ木は身体は覆ってくれないけれど心のよりどころをくれるのです。洞窟は「覆う建築」であり、枯れ木は「気配の建築」です。覆う建築は身体を守り、気配の建築は心を守る建築です。

建築にはこの2つの原点があるのです。

そして、洞窟の建築は石や煉瓦による壁構造の西洋の建築の、そして、気配の建築は日本の木造建築の源流なのです。
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洞窟の建築は女性性器の窒や子宮に、柱の建築は男性性器に似ています。窒はペニスを包み、子宮は胎児を包んで育てますが、ペニスはシンボリックに力や生命を誇示しても決して包み守ってはくれません。洞窟の建築は母親に似ています、柱の建築は父親にそっくりです。暖かく包む愛情は母のもの、むち打ち厳しい愛は父のものですから。

建築とはホッとするところ 洞窟と柱は二つの源流です


気配と間・・・・気配が間をつくる

日本の木造建築はこの柱と梁が生みだした気配がつくる建築です。その空間は決して母のように人を守ってはくれず、父のように象徴的に厳しい気配をもった空間です。

一本の柱があればそのまわりに柱の気配できるのです。「気迫のある人」とは強い人が放つ気配ですし、「色香の漂う女性」とは官能的な女らしさという気配をまわりに放つ女性です。人のまわりに気配が生まれるように、柱のまわりにも柱の気配がうまれるのです。日本人はこの気配に敏感です。

「気配」とは「気」なのですが、日本語にはこんなに多くの「気」を用いた言葉があります。
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一本の柱のまわりに生まれた気配に心の安らぎを見いだすのが日本の建築の出発点だったのです。
「間」とは複数の柱が寄り添った時に夫々の気配が重なり合ってうまれる充実した空間です。それぞれの柱が放つ「気」が「間」を形成するのです。
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たくさんの柱と梁が生みだす 気配が集まって間ができます


間の建築・・・・日本の建築

「気配の建築」である「柱」は複数、集まると「覆う建築」に似てきます。複数の柱の気配と気配がつながって「間」をつくりあげるのです。そして、洞窟程で程ではないのですが人を覆い、遮断するのでもなく連続性だけとも言えない曖昧な空間をつくりあげるのです。

日本の建築はこうして木造の柱が集まって形成する「間」の生みだす空間だったのです。
西洋の建築のように「覆う建築」では得られない曖昧さを持った、「間」の建築だったのです。
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日本の木造建築は気配が 集まりつくる間の空間です


外も内・・・・連続性

複数の柱の気配と間の日本建築は西洋の建築の源流である「覆う建築」のように壁がありません。
気配の集合ですから建築は屋内と屋外はそのままつながって1つです。

壁でできた「覆う建築」の西洋の建築では屋内と屋外は峻別されています。そして、その壁に窓を穿つのですが、日本建築の「気配の建築」では柱が生みだす気配だけがあって、始めから壁はなく、したがって窓もありません。内部と外部の意識もなく数奇屋では庭も叉数奇屋だと考えていたのです。すだれや明かり障子や襖などで内外を微かにつなぎ連続させるのです。
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庭もまた数奇屋、内外 の連続する日本の空間


部屋と間・・・・間は豊穰な空間

覆う建築は壁で内外を区切り、窓を穿って部屋をつくります。

日本の建築は柱の気配が集合してできていますから壁がなく窓もなく、部屋もありません。
全てが連続的で1つの建築は1つの気と間の連続的な空間です。その空間をその連続性を失わない程度に襖や明かり障子や屏風で微かに分けて様々な「間」をつくりあげているのです。

日本の家に「居間」とか「寝間」とか「客間」とか「茶の間」という名前が付けられたのもこの「間」という感覚があったからです。

部屋は英語で「ROOM」です、これはからっぽという意味をもっています。「ルーム」とは空いたところであって詰まったところではないのです。それに対して「間」にはいっぱいの気配が詰まっています。
襖や明かり障子で仮に区切られただけの連続的なつながり、そこに敷かれた畳の上では家具なしですごすことができるのです。布団を敷けば寝間に、座布団を敷けば客間に変化する家具のない室内です。履物を脱いで入る日本の家屋は、それ自体が大きな家具だったということができるのです。日本建築の室内はがらんどうではない、いっぱい詰まった充実した空間だったのです。
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からっぽの西洋の部屋と 豊穰な気をもつ日本の間


家は椅子・・・・座のための日本の家

日本の家の畳は椅子の高さと同じ45センチ程です。日本の家で履物を脱いで上がる畳の間は椅子の上と同じなのです。畳敷きの日本の空間は西洋の部屋と同じではなくそこにある「椅子」と同じ存在なのです。

畳の上は立って歩くのためにできてはいません。座ってこそ落ち着くようにすべての情景はつくられています。椅子の上に立つ人がいないように、畳の上に立つことはどこか不自然な感覚です。
畳は椅子と等価なのです。
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座るための日本の家 立つための西洋の家


椅子とは・・・・安心してほっとする空間

がらんどうな西洋の部屋でも家具があれば居場所ができます。安心してほっとすることが出来るのです。
椅子は荒野の旅人が見つけた一本の枯れ木のようにそこに宿を取ることの出来る落ち着いた、居心地のいい空間をつくります。椅子は気配の建築だったのです。

日本の家がそれ自体、家具であり椅子だったように、椅子も又、気配の建築であり、日本の家と同じだったのです。
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椅子は気配の建築です


テーブル・・・・生活が始まる切っ掛け

がらんどうだった部屋に椅子を置くことでやっと落ち着くことのできた人は、しばらくすると、そのままではまだ何かがものたりなく感じる筈です。安心は出来ても何も始まらないからです。

椅子の前に小さくてもテーブルがあれば、人はメガネを置き、灰皿を置き、本を置き、コーヒーを置いて生活が始るのです。何かを思索し、人と会話をし、メモをとって人が人らしく内面的な生活も始まります。

椅子は安心をつくり、テーブルは生活を始めさせてくれるのです。
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安心をもたらす椅子と 生活が始まるテーブル


屏風・・・・間合いをつくる道具

屏風は日本の家では襖や明かり障子やすだれと同じに、永久的ではなく仮に空間を仕切って「間」を生みだす道具です。日本の建築が室内も室外も連続した1つの間だったように、西洋の部屋をこの現代の屏風が間の空間に変えてくれるのです。「椅子がつくる安心」と「テーブルが生みだす創造活動」と、そこに自分のテリトリーをつくりあげ、空間の広がりを適度に制限して「間合いをつくる屏風」が揃って初めて生活空間がうまれるのです。

ネクストマルニは<椅子を中心にして、テーブルと屏風>を「生活空間をつくる道具」として製品化していきます。ここではもう家具という概念は不要です。
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ホッとする椅子
創造が始まるテーブル
人の間合いをつくる屏風


3つの層・・・・床と椅子とテーブル

人々の生活を観察すると、三つのレベルが見えてきます。それは床のレベルと椅子のレベルとテーブルのレベルです。「床は人間の存在を支え」、「椅子は心を支え」、「テーブルは生活を支え」ます。

床がなければ人は存在し得ません、それが出発点。その上に生活する人々は自分の姿勢を様々に支える支持具を求めます。もたれる壁、ちょっと腰をかけるバーチェアー、姿勢をだだして座る小椅子、コーヒーをのんだり会議をする、ちょっとリラックスもできるアームチェアー。すっかりリラックスする姿勢の、ラウンジチェアーはお酒を飲んだり談笑したりする椅子です。こうして様々な人の気分を支える椅子があるのです。

ネクストマルニはその上にディベッドやベッドもその仲間にいれて考えています。名前はベッドですがその心は椅子と同じです。

テーブルのレベルは物を置いたり作業したりするレベルです。これがあるからものが存在する場所を得てそれと係わって人は生活を始めます。思索したり、議論したり、テーブルから生活が始まります。椅子を最重要視するネクストマルニはそれをサポートする、生活へつながる大切な部品としてテーブルを開発します。
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床は人の存在を支え、
椅子は人の心を支え、
テーブルは人の生活を支える


座具寝具・・・・姿勢を支える道具

人は様々な姿で身体を休めます。その姿態を支えるのが椅子です。

人間には歩から臥への様々な姿態がありますが、ネクストマルニでは椅子とは人の姿勢を支え、人の心を安心させるものと考えています。ここでは立つから寝るまでのすべての姿勢を含みます。

その人の姿勢に対応していろいろな椅子が生まれたのです。そして、ベッドもその椅子の仲間なのです。
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椅子は姿勢を支え、心を安心させる


補助具・・・・椅子+補助具

ネクストマルニは椅子を中心にして、椅子に座る人を補佐する二つの補助具で商品構成を考えています。

補助具とは「テーブル」と「屏風」です。椅子とこの二つの補助具さえあれば生活は始まるのです。

椅子は安心の拠点、テーブルは生活の拠点、屏風はテリトリーの暗示です。この三つが「日本的文化がつくりあげる家具の三大要素」です。

ネクストマルニはなかでも椅子を最重視しています。ホッとするところである椅子は家具の原点であり、すべての生活の原点だと考えています。
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椅子と二つの補助具


個の調和・・・・異文化との会話

お仕着せの1種類の家具だけでつくる、統一感だけのインテリア・コーディネートを目指しません。1つのイメージでの調和でつくりあげた家具のシリーズを目指しません。

ネクストマルニのすべて椅子は夫々すぐれた世界観でつくられた個性的な椅子達ですし、椅子とテーブルと屏風という三種類の家具はインテリアを構成する部品としてそれぞれが独立的にデザインされています。

全体の調和を優先して個人の主体性を制限する社会ではなく、個性的な個人が高度な調和をつくりあげる社会をインテリアでも実現しようというのです。

我々が考える調和は個性の高度な調和です。個性的な椅子を1種類だけ選んでテーブルや内装と調和させるのも否定しませんが、複数の個性的な椅子を混在させてそれぞれの座に夫々の個性を持たせることを勧めていきます。夫々の椅子が対話してうまれる空間です。
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雑貨・・・・家具を捨てて家具を探す

ネクストマルニは「家具」を捨てようと思っています。長い西洋の生活から生まれた「家具」というものを一旦捨てて、日本の思想と空間から再出発して「日本発の家具の概念」を見つけていきたいと考えています。

雑貨とは領域の名称が固まらない物すべての総称です。雑とはすべてのジャンルで不確定で渾沌としたもののすべてを指していて、雑のつくものは渾沌の素晴らしいエネルギーを孕んでいます。その例をあげてみよう。
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雑という文化、それはエネルギッシュで多くの可能性のある文化です。ネクストマルニはここから始めます。

民家の発展の歴史を見ると土間だけの竪穴式住居から出発して板の間がうまれていくのです。はじめに寝間と広間がうまれ、座敷や茶の間が分裂していきます。そして、大切なことは、はじめから土間がずっと残されていることです。土間は農作業や様々な多様な作業を受け止める空間として残されているのです。そして、この土間こそ生命的な空間なのです。

雑貨とは、建築ではこの土間に相当します。そこから新しい領域がうまれていくのです。
この「雑」のつく言葉の渾沌さのなかに豊穰な海、生命の始まる海のような力を感じています。この中に生活のための道具を一旦戻して、改めて新しい家具の定義を探していこうと思います。
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渾沌とした豊穰な海


身体感覚・・・・身体からの発想

日本の美意識は身体感覚からの美意識です。社会は他者への気づかいから始まり、他者や世間への義理や人情がつくりあげるものとして捉えられていますし、自然との一体感も、死をも生の一部と考え、今の全てを仮と理解する自然の生々流転として身体で捉えています。ものづくりもできるだけそのままであろうとする、加工を嫌うのです。反物をできるだけ刻まないで縫製するのです。着物がほとんど同じかたちであることから分かるように日本の美意識は素材感を重視してその素材感を協調するための形でしかない。形は重視されてはいなかったのです。

ネクストマルニが椅子を、そして空間全てを身体感覚でとらえ、椅子を中心として商品体系を構成しているように、素材についても主要な素材を木材に求めています。木のもつ魅力は熱伝導率が小さく、熱浸透率が低いことから分かるようにひとの肌に優しい素材です。

数奇屋は木と竹と土と紙でできていました。日本の気候風土に適した素材として日本の文化と一体となっていました。ネクストマルニは日本発の新しい家具の思想を開発し販売する文化運動です。
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身体感覚からの思想と 素材を重視する美意識


思想背景

1.調和の思想
一種類のイメージで統一されたインテリア空間は疲れを癒す力がありますが、本当に生命的な空間とは言えません。空間は人間を癒すだけではなく生命的を鼓舞するためにあると考えると新しい思想をもった、新しい調和の時代が来ると考えざるを得ません。

ネクストマルニが描く夢は個性的な人々や個性的な夫々の文化が対話をしながら自ら探していく生命的な調和です。それは渾沌のエネルギーがある、高度な調和です。

ネクストマルニは異なる文化との対話を求めて、夫々の個性的な作品がそれぞれの生活者によってコーディネートされていくそのような調和を夢見ています。

2.原点回帰
家具の歴史を持たない日本が西洋に学んだ西洋の家具を生産し、世界に向けて販売するだけでは巨大な歴史をもつ西欧諸国に勝てる筈がありません。先ず、日本の美意識で世界に通用する家具を発見することから始めなくてはなりません。ネクストマルニは謙虚に「日本の美意識へのメッセージ」を椅子で表現いただくこことと、同時に家具という概念を捨てて原点から、日本の住いとそこでの作法から、新しい日本の家具の概念を再発見することに努めました。「概念の未分化領域である雑貨の海」に戻し、そこから改めて家具を再発見しようとしたのです。

発見したものは、「生活空間を構成するものを<椅子+テーブル+屏風>という簡明な三つの要素で考えるというものでした。新しい視線から見つけた、日本の思想から発見した生活を支える道具としての家具の発見です。

3.アイデンティティ
我々は世界との共存が大切な時代に生きています。国内だけにマーケットを求めていればよかった20世紀の時代を過ぎて、これからは日本の文化から世界に主張し、世界と対話をしながら共存していく時代です。世界に誇る歴史と文化を持ちながら、近代化によって西洋の価値観で日本は埋め尽くされ、日本の文化を見失いがちです。

日本の美意識を心の奥底に隠して表面は西洋文化の奴隷のようになっているのです。ネクストマルニは世界に挑戦するために、改めて自分自身のなかに潜む日本の美意識を洗いだし、これからの商品開発の思想に、事業の思想に反映させていこうとしています。

4.人と物の共存
20世紀を迎えて、心地級には生活を豊かにするために物があふれるようになりました。

産業は物の生産によって活力を得ていますから、物の生産を否定することはできません。しかし、あふれる物は最後は廃棄物となって地球の生態系を乱すだけではなく、多すぎる物が人を疎外して、物と人の共存さえ難しくしています。最小限の物だけで生活を充実させること、やむを得ない物はそれを美しくすること、芸術性を復活させることで人が物を愛することのできる時代をつくりあげることこそ大切なのです。フェティシズムとは物への愛情のことです。

これからの時代はすべての物が愛情の対象となる、芸術性豊かな存在であるべきだと考えています。

5.身体感覚の復活
うまれて間もない幼児は、ほとんど動物的といえるほどに直感力を持っています。嗅覚と触覚ですべてのまわりの世界を捉えるのです。20世紀の近代の時代に極端に肥大した知性によって、現代の人間はその動物的な本能を失いつつあるのです。ネクストマルニはこの身体感覚を大切にしています。古い昔からの人に馴染んでいる木という素材の触覚を最重視しているだけでなく、思想自体が身体感覚を重視する日本の美意識を背景としています。そして、椅子はそもそも家具の中で唯一衣服のように身体に接するものです。椅子の意味は身体感覚から発見していくことが大切なのです。

ネクストマルニの商品体系が<椅子+テーブル+屏風>という3つの要素で考えることはここからきています。

6.産業と文化の融合
ネクストマルニはこのように、単に家具を製造し販売するだけではなく、思想を伝えるために事業をしていきます。そのために、始めからネクストマルニを文化活動と産業活動の融合と位置づけてきました。これからの時代は文化的であることこそ事業を成功に導き、経済性を十分に考慮してこそ文化的効果を生みだすことができるのです。

事業が生きる喜びであること、生きる喜びがそのまま事業になっていることをネクストマルニは目指しています。

この事業自体が我々の夢なのです。