ブログ

【 地元の誇り 】

「皆さまにとって地元の誇りとは何ですか?」

「どこですか?」

社内で聞くと、「宮島」、「厳島神社」、「広島カープ」、「お好み焼き」(決して「広島焼」とは言いません)といった答えが返ってきます。

「八丁座」のオーナー蔵本順子さんが、こんなことを仰っていました。

「テレビの街頭インタビューで、若い男の子が『地元の誇りは?』と聞かれ、『パルコ!!広島にもパルコがあるんよ。』と答えるのを見てガッカリしました。」

「八丁座」とは、広島市内で最も賑わう八丁堀交差点の一角にある、地元老舗百貨店福屋八丁堀本店の8階にある映画館です。先日、そのオーナーである蔵本さんのお話を聞く機会がありました。蔵本さんは、地元で映画館6スクリーンを経営されている、株式会社序破急の社長さんです。

福屋の8階には以前、1975(昭和50)年に開業した松竹系の映画館がありました。しかし、シネコンが映画館業界を席巻する中、来場者数が減少し、残念ながら2008(平成20)年4月に、33年間の歴史を終え閉館となりました。一般社団法人日本映画製作者連盟がまとめた映画館スクリーン数の変遷を見ると、1960(昭和35)年のピーク時に7,457スクリーンあったものが、1993(平成5)年には1,734スクリーンと、ピーク時の2割強にまで減りました。しかし、その後はシネコンの台頭もあり、3,339スクリーンにまで回復しましたが、そのうちシネコンは2,774スクリーンを占めています。つまり、いわゆる「映画館」は、シネコンを差し引くと565スクリーン。ピーク時の7.6%にまで減ったことになります。

そんな中、「八丁座」は2010(平成22)年11月26日にオープンしました。

オーナーの蔵本さんは、「昔は広島市内中心部だけでも50を越える映画館がありました。どんなに小さな商店街にも映画館があり、文化と娯楽の中心でした。しかし、街中から映画館が消えました。もう一度、広島のど真ん中に映画館を作りたかったんです。」と仰っていました。

「八丁座」のホームページには、「広島愛と映画愛の総力を結集して誕生した映画館です!!」と書かれています。

オープンの一年以上前、蔵本さんが銀行に「八丁座」の計画を相談したところ、どの銀行からも断られたそうです。銀行だけでなく、配給会社はもちろん、映画関係者全ての方から「無理。」、「失敗するからやめておけ。」と言われたそうです。しかし、これまでに培った映画館経営の歴史を背景に、新しい映画館への夢を熱く語り続けていると、一人また一人と応援してくれる人が増えていきました。そして、銀行の担当者が理解のある方に代わったこともあり、半年後には承認を得られたそうです。

その後すぐに、蔵本さん自ら弊社社長にお電話がかかりました。

「映画館の椅子を作ってほしい!!」

弊社の商品はホームユースが中心です。機能と強度、そして価格の安さが優先される映画館の椅子を、自社では作ることが出来ないのではないか、とみんなが思いました。

そんな感覚のまま、担当者が他社商品のカタログを持って提案に行ったところ、「こんなものをマルニさんに求めてはいません!!」と一蹴されて帰ってきました。後日談ですが、蔵本さんはその時のことを振り返り、ご自身の想いとのあまりの温度差に、「めまいがし、卒倒しそうになった。」と笑いながら仰っていました。

「あの人、本気ですよ。」担当者が漏らした言葉です。

その迫力に悔しさを覚えた弊社スタッフは必死で考えました。「うちの技術をどうやって生かすのか。」そればかり考えていました。そして1ヵ月後、パーソナルソファをベースにしたデザインが完成し、ようやく喜んでいただけるかたちが出来上がりました。価格は通常の映画館の椅子の約5倍です。ちょうどオープンの半年前、2010(平成22)年5月のことでした。

その後、6月に蔵本さんが試作検討会と工場見学のため来社されました。試作品の仕上がりを見て、とても喜んで下さいました。そして、「椅子を主役にしたいんです。」と言われ、みんなが鼓舞されました。生産準備が進み、生産に着手したのが8月です。それからオープンまでの実質2ヶ月の間、現場の職人はもちろん、関わったスタッフ総出で残業と休日出勤を繰り返し、通常月の約1.5倍分もの生産をやり遂げました。みんな、ご期待に応えようと必死でした。

オープン直前に、蔵本さんが地元の朝のラジオ番組に出演されました。パーソナリティーの質問に一つ一つ答えられていましたが、最後に、「椅子はマルニさんですよね。高いでしょう。」と聞かれると、蔵本さんは、「高いです。見積書が来ていますが、見たくありません。でもあの工場の職人さん達の丁寧なモノづくりを見ると値切れません!!」と答えられました。ラジオを聞いていた社員みんながこの一言に大きく心を動かされました。今、思い出しても鳥肌が立ってきます。

また、話題になりつつあった「八丁座」を取材しようと、地元テレビ局数社が工場まで来てくれました。そして、「八丁座」の皆さんの想いを形にする現場を撮影してくれました。後日、テレビ局の方に聞くと、「八丁座」の特集への反響は非常に大きかったそうです。

しかし、オープンを目の前にして、様々な問題が起こりました。ビルのエレベーターはとても小さく、240脚もの椅子を搬入するには非常に時間が掛かります。しかも、搬入は百貨店の営業時間外に行うため、結局、約3週間、毎晩深夜から明け方まで、搬入と設置作業を繰り返しました。空調が効かない中で、11月の現場は非常に寒く、大変でした。しかし、時間はかかりましたが、全てのものがきちんと図面通りに仕上がっており、現場での微調整は一切ありませんでした。

そして、2010(平成22)年11月26日、ついに「八丁座」がオープンしました。

オープニングレセプションで、蔵本さんは映画館に関わった一人一人、一社一社にお礼の言葉を贈られました。それを聞きながら、涙を流される方もいました。弊社には「この劇場の主役はマルニさんがオリジナルで作ってくれた椅子です。」と言っていただき、感激しました。

オープンしてこれまで、「八丁座」には多くのお客さまが来られているそうです。座席は、快適に鑑賞していただけるように工夫された大きな椅子や、畳を敷いた鑑賞席などがゆったりと配置されています。そのため、以前あった松竹系の映画館では、スクリーン1に348席、スクリーン2に150席あったものが、それぞれ170席と70席に減りました。それでも、「八丁座で映画を見たい!!」と来場されるお客さまは増えており、運営は好調だそうです。オープン後、最初の土曜日には全国の映画館ランキングで第12位に入ったそうです。上位の殆どは東京の映画館が占め、広島で最も賑わうシネコンでさえ、大ヒット作品が上映された時に40位以内に入るかどうかというものです。蔵本さんも、「驚きの成果」と仰っていました。アカデミー賞受賞作「英国王のスピーチ」の上映が始まると、全国トップ10に入ったそうです。

こうして結果が出始めると、それまでは相手にもされなかった日本トップの映画配給会社から、約30年ぶりに、「うちの映画を上映してほしい」と言われたそうです。その時の蔵本さんの感想は、「やった!!」、「これまで頭を下げなくて良かった!!」(…正確にはもう少し荒い言葉でした)。お話をお聞きしている私たちの脳裏にも全く同じ言葉が浮かびました。全国から多くの映画関係者が来られ、皆さん、「非常に非効率な劇場ですね。」と言って帰られるのが、またとても嬉しいんだそうです。

蔵本さんは、「何十年ぶりに映画館に来たんよ。」とか、「リタイアして時間が出来たけえ、買い物ついでに来てみたんよ。」と言われる方がたくさん来られるのが嬉しいと仰っていました。「『あの椅子に座ったら他の椅子には座れんよ。』と言われるんです。」と嬉しそうに話されていました。一方で、時には「汚されたくなかったら、こんなに高い椅子を使いんさんな。」というご意見もあるそうで、そんな方には、「ご自宅にいると思って、自由に汚してください。」と答えられているそうです。それについて、蔵本さん

「私たちが丁寧に掃除すればいいだけですから。」

今、日本人の年間映画鑑賞回数は、一人当たり平均1.27回なんだそうです。蔵本さんは、「八丁座」に来られる方に、「もう一度来たい」と思ってもらえるよう、「ENDMARK」という上映中や上映予定の作品紹介とスタッフのコメントなどをまとめた小冊子を配られています。

そして、お話の最後に、蔵本さんは「八丁座」の成功について、こう話されました。

「『言霊』です。『八丁座』のオープンは決死の覚悟でした。でも、言葉に出し続ければ実現するんですね。」

「あなたにとって地元の誇りとは何ですか?」

「どこですか?」

そう聞かれて、最初に「八丁座」と答える人は、まだ殆どいないと思います。しかし、多くの人が訪れ、心を動かされ、いつしか広島市民にとって「地元の誇り」として当たり前のように挙げられる日が来るのではないかと思っています。

蔵本さん、そして「八丁座」に関わった多くの人達の夢の一翼を担えたことに、社員一同、心より感謝しています。

 

家具のリフォーム 後編

発売当初のカタログはこんなものでした。上が「ベルサイユ」、下が「アカンサス」です。

そして、1972年のカタログでは、ご自宅で使われている様子とともに掲載されています。

当時の「応接間」で使っていただいていました。

お客さまにもとても喜んでいただいています。
弊社に届く品質保証登録用紙に様々なコメントいただいています。


長年、愛用しましたダイニングテーブルを修理して頂き、新品同様になって
帰ってきたので感謝しています。又、長く使わせて頂きます。


いすの座面張り替えをお願いしたのと同時に買い足しをお願いしました。使用始めて18年。
同じいすに新しい命を吹き込んでもらい、感謝しております。同型番のいすがロングセラーで良かったです。

14年前、同居の母が車イス生活になり、皮のソファを処分し今回と同種類を2脚購入。
イスを自由に移動可が大変気に入っています。今回購入した物は生地が気に入り、前回の2脚は同生地にはリ直しをお願いしました。

追伸:14年経っても、とてもきれいです。座り心地も良く、車もとてもスムーズに動きます。
今回張り替えた後、又、新しい家具として我家に迎え入れます。大好きなマルニの家具、大切に使います。

こんなコメントをいただきとても嬉しい一方で、身が引き締まる思いがします。「18年前」、「14年前」、弊社の家具が届けられた日のことを、お客さまはしっかり覚えて下さっています。日本人が家具を買う機会は一生に2~3回と言われています。その機会の大半は人生の節目です。だからこそ、「最高の仕事」でお応えしようと思っています。そして、これからも「長く大切に使っていただき、そしてまたリフォームされて、次の世代に大切に使われる」、そんな家具を作っていきたいと思っています。

最後に余談ですが、こんなお得意先さまもあります。

お客さまからお預かりした家具を厳重に木枠で梱包し、更に50万円の保険までかけて送ってくださっています。お客さまはもちろんですが、この梱包をされた方々、保険まで手配された方々の期待まで背負ってモノづくりに励んでいきます。

家具のリフォーム 前編

「時代の変化、そして多様化する70年代、すべての人々に幸福感と美の心をお贈りする家具、これが私のもっとも誇りとするところでございます。」

これは、1972年の弊社総合カタログ冒頭に記載されている創業者の「ごあいさつ」です。

当時、弊社はいち早くクラッシック家具の量産に成功し、数々のヒット商品を生み出しました。
そして、そんな家具達が長い時間を経て工場に戻ってきます。

弊社では、元々、ホテルやレストランといった大型商業施設に納入させていただいた家具を中心にリフォーム(修理)させていただいておりましたが、約15年前より、個人のお客さまに長く使っていただいた家具についても、一つ一つリフォームを受けさせていただいています。

家具のリフォームは簡単ではありません。殆どの商品について、時代の流れとともに仕様変更がなされていたり、廃番となっていたり、製造された当時の治具も型紙も残っていないため、実質的には一脚ずつベテランの職人が仕上げていきます。

例えば、張り生地を剥がすのも重要な仕事になります。型紙が残っていないため、丁寧に剥がし、それを元に型紙を起こし、手で張り生地を切っていきます。

特にクラッシックスタイルの家具については、曲線が多く、元の生地と同様に裁断、縫製しても、張替えに選ばれた生地によっては、伸縮度合いが違うため、仕上がりに差が出てしまいます。そこで、何度か仮縫いして調整し、また縫製し直します。また、新たに選ばれた生地によっては、柄合わせが必要になります。こんな職人技はベテランにしかできません。ちなみに、リフォーム部門の職人の平均年齢は約70歳。みんなとても元気です。

こんな家具達が帰ってきています。
これは、今でもロングセラーで販売されている「ベルサイユ」のソファです。

張り生地の合成皮革の表面が毛羽立っている一方で、肘の木部は色も傷の具合もとてもいい感じになっていました。「ベルサイユ」の発売開始は1968年です。そして、この当時の社章は1976年まで使われていましたので、少なくとも40年程度、お客さまにお使いいただいたことになります。

こちらも「ベルサイユ」と同じ1968年に発表された「アカンサス」のソファです。


肘前の飾り木が特に印象的ですが、発売当初の主材はチークでした。非常に硬い木で、44年前、量産するために、先輩が苦労した様子が想像できます。

次週、 家具のリフォーム 後編 では、当時のカタログやお客様の声などをお伝えしていきます。

整理整頓清掃

「工芸の工業化」

創業者が掲げた言葉です。
昭和3年(1928年)当時、日本の住宅には殆ど家具がなく、床と畳の上での生活が当たり前でした。そんな時代に、創業者は「日本の住宅文化のレベルを高めたい」という志を持って家具製造業を始めました。

今でもその「工芸の工業化」というモットーは生きています。
機械化を進める一方で、職人にしか出来ない加工は、丁寧に手で仕上げられていきます。創業当時も今もその姿は変わりません。そこには「長年の熟練に基づく勘」と「感性」が求められます。そんな「感性」は、工場の整理整頓にも生かされています。

これは「Roundish」の脚組用専用台車です。ちょうど10脚分が乗るように設計されています。

こうして脚がきちんと乗せられている姿はとてもきれいです。この台車が空になると、空の台車は前工程に戻され、次のロットの生産が始まります。台車でありながら、生産指示カンバンの役割も果たしています。

続いてこれは何だと思いますか?
社内では「イズミ」と呼ばれています。

実はこうして使われています。

テーブルや箱物の天板加工機械を担当する和泉という社員が掃除の手間を少しでも減らすために考えた工夫です。木工メーカーの工場では、どうしても木屑が出ます。


集塵機で吸いきれない木屑は床に落ちるため、弊社では休憩時間と終業時の前に必ずみんなで掃除をします。その際、最も邪魔になるのが集塵ダクトです。こうして少し持ち上げることで、掃除の手間が一気に減りました。

和泉の後ろ姿です。
右足の奥に彼が作った第一号が小さく写っています。

シャイな和泉は自分からこの工夫について言及することはありませんでしたが、「イズミ」に気付いた上司が他の職場でも試したところ、工場全体に広がりました。

少々、やりすぎですが。

裁断職場に行くと、こんな工夫もあります。

これはクラッシック家具のパイピング部分に使用するファブリックですが、それぞれのファブリックとそれを留めている洗濯バサミの色が合わせてあります。「一目で分かる」のはもちろんですが、ちょっとした気遣いが気持ちいいです。

そして、朝の工場はとてもきれいです。
「今日、写真を撮るからきれいにしておいて欲しい」と言った訳ではありません。

汎用機は常に木屑が飛びます。

NC機周辺は最も木屑があふれる場所です。

メイン通路はもちろん、裏通路まできれいに掃除されています。

きれいになった通路には国内外を含めた納品事例ポスターが貼り出されるようになりました。

「自分の職場がきれいかどうか気付かない人に高品質のものづくりは出来ますか?」
「『感性』を生かす職場環境が整っていますか?」

完成する商品へのこだわりはもちろんですが、工場現場の小さなこと、当たり前のことを大切にして日々、モノづくりをしていきたいと考えています。

ミラノサローネ2012

ミラノサローネが終わり、渡航したスタッフ全員、無事、帰国しました。ご来場していただいた多くの皆さまに心より感謝を申し上げます。日本からもたくさんの方に来ていただきました。本当にありがとうございました。

おかげさまで、新たに5カ国での展開がほぼ決まり、他にも大型のコントラクト案件の相談を数件受けるなど、年々着実に反響が大きくなっているのを感じ取れます。

スタッフ一同、疲労困憊ですが、ちょっとした自信と達成感を味わって帰ってきたところです。

初日のPRESS PREVIEWは、FACEBOOKにて報告の通り、デザイナーの深澤直人さん、ジャスパー・モリソンさんに参加していただき、たくさんのお得意先さま、プレスの方々にご来場いただきました。深澤さん、ジャスパーさんとも取材続きでお疲れの中、とても丁寧に対応してくださいました。

翌日以降も、人が絶えることなく、ずっと接客している状態でした。一時、海外営業担当マネージャーとの商談を待っていただくため、30分近く、お待ちいただくケースもあり、彼は非常に恐縮していましたが、一方で、既存のお得意先さまにとって、「行かなければならないブース」、「見ておかなければならないブランド」になりつつあることを知り、少し自信にもなりました。

皆さん、HIROSHIMAアームチェアに座る方が必ず同じ行動をとることをご存知ですか?

この人達も。

この人達も。

年齢、性別、国籍にも関係なく、みんな、あたかも無意識に引き込まれるようにHIROSHIMAの肘から背の部分を触っていきます。時には脚から座の裏まで触って感覚を確かめる方もいます。

以前、その話を深澤直人さんにしました。すると、とても喜ばれ、「人に触れる感覚に似ているのかな」と仰っていました。私達はこんなに触られる椅子をこれまで見たことがありません。

弊社では木には大きく言うと二つの特徴があると考えています。一つは「二度と同じ木目に出会えない」。よって、木目を合わせるだけでも、過去の経験に培った木材の選別眼が求められます。そして、もう一つが「みんな木の気持ちよさを知っている」です。殆ど直線がないHIROSHIMAを同じ品質で作り続けるのは容易ではありません。機械で荒削りした部材を、職人が一脚一脚、丁寧に仕上げて行きます。

私達は、皆さんの無意識の行動を見ると、嬉しくなります。「木の良さを生かす」。木工メーカーとしては当たり前のことですが、創業者が掲げた「工芸の工業化」を実現できたと誇らしくなる瞬間です。そして、工場で働くみんなの顔を思い描き、「HIROSHIMAの魅力をもっとお伝えしよう」と力が入る瞬間でもあります。ミラノサローネを通じ、改めてそんなことを感じました。

そんなモノづくりをこれからも世界に発信していきます。

マルニブログを始めました

この度、マルニブログを立ち上げます。
普段はなかなかお伝え出来ないマルニ木工のモノづくりや、想い、そして人のことなどを、
この場を借りてお伝えしていく予定です。
少しずつ記事を充実して参りますので、どうぞ楽しみにお待ちください。